兵士の生活相

 70年代末までだけみても、連隊長以下の軍人の配給量は、1日米800g、副食物1kg、肉類80g、油20g等、3,200〜3,500cal程度であった。しかし、80年代初盤から配給量が減少し始め、1日米600g以下のみ供給され、残りは、お浸し以外ほとんど皆無の状態である。主食以外の副食は、自主的に解決しなければならないという。

 さらに、幹部層における困窮な生活難を打開するため、中間着服することが一般化し、状況は、さらに悪化している。

 北朝鮮軍は、後方総局供給計画に依拠し、「前進供給対象」、「1次供給対象」、「2次供給対象」、「特別供給対象」に区分・配給されている。

 「前進供給対象」は、休戦線10km以内地域において勤務する1梯隊及び潜水兵・飛行士等特殊兵と軍人として、雑穀850g、油20g、豚肉200gである。「1次供給対象」は、後方に勤務する2梯隊及び狙撃、軽歩、飛行機の技術整備要員等の一般軍人として、雑穀800g、油10g、豚肉100gである。

 「2次供給対象」は、建設工事に動員された軍人、軍事学校勤務者等その他の軍人として、1次供給対象と基準量が同一であるか又は優先順位が落とされている。

 「特別供給対象」は、人民軍協奏団、体育団、万景台革命学院及び人民武力部傘下研究所勤務者等の特殊分野の軍人として、基準量は、未詳である。しかし、実際に人民軍に支給される配給量は、平均的に雑穀650g(米:ナズナ=3:7)、油7g程度に過ぎない。さらにそれさえも、大部分が中間輸出されるために下戦士、特に最下位階級である戦士の相当数が深刻な栄養失調にかかり、「保養所」(別名、栄養回復中隊)に収容されている状態である。
 

被服供給基準量

区分基準
軍官夏服(2年1着)、冬服(2年1着)、外套(6年1着)
軍靴(1年1足)、労働靴(1年1足)
夏帽(2年1点)、冬帽(4年1点)、革帯(4年1点)
下戦士外出服(4年1着)、戦闘服夏(1年1着)、戦闘服冬(2年1着)
労働靴(1年2足)、防寒靴(1年1足)
夏帽(2年1点)、冬帽(4年1点)、革帯(4年1点)

タバコ供給基準量

区分基準備考
2号対象
(佐官級以上)
1日15本タバコの価格は、
俸給から控除
1号対象
(尉官級以下)
1日10本同上
下戦士1日10本
(実際には、月200本の分量)
無償

◇栄養失調急増により「保養所」設置・運営

 現在、北朝鮮軍は、「あれば供給し、なければ与えなくとも良い」という言葉が出てくる程度に深刻な補給品不足に直面している。特に、食糧難が深刻化し、栄養失調者が急増する趨勢にある。現在、ほぼ大部分の兵士が慢性的な栄養不足状態に直面しており、この内、6〜7%は、患者に分類され、「保養所」に収容されている。

 同「保養所」は、大隊、連隊、師団、軍団毎に設置されている。収容者数は、大隊級5〜6名、連隊級30名、師団級500名程度である。「前進供給対象」である5軍団の場合にも、計8万余名中、2,000余名以上が収容されているものと知られている。

 軍では、栄養失調に分類される患者の程度により、1〜4度に区分し、1〜2度の場合は、所属部隊自体保養所に収容するが、3〜4度の場合は、所属軍病院の保養所に収容する。

 この内、病院で運営する保養所の場合、収容者に栄養補充のため、自体調達した豆、餅米、豚肉等を提供するが、食事後、深い食中たり、下痢を引き起こす程度に体が虚弱な状態であるために効果がほとんどない。

◇全軍に「820訓練所経験」普及

 北朝鮮軍内の深刻な食糧難は、補給される食糧自体が不足していることも原因であるが、幹部層の中間着服にも原因があるものと指摘されている。軍当局では、これを解決するために1991年から黄北沙里院所在820訓練所において実施し、大きな効果を見せたという方法を全軍に普及している。

 同「820訓練所経験」の主要内容は、次の通りである。

 先ず、米粒を手のひら程度の大きさに膨らませて配食し、多く見せるようにする「木函式炊事」を上げることができる。木函式炊事方法は、ご飯をよそうとき、米(白米及びトウモロコシ)を熱い水蒸気に晒した後、トウモロコシだけ先ず釜に水と一緒に入れて、水気がなくなるときまで沸かした後、その上に白米をのせて蒸す方法である。

 第2に、各単位部隊別に1食炊事分量だけ袋に入れて支給する「袋供給」方式である。即ち、袋供給方式というのは、10日毎に総量で支給していた食糧を各食事毎に区分、計30個の袋(10日×朝・昼・夕食3食=30袋)で補給する方法である。この袋を炊事場の天井にぶら下げ、袋が窃取された場合、直ぐにわかるにようにするものである。

 第3に、軍人1人当たり毎日5〜7g(基準量は、10〜 20g)供給される食用油を中隊長が直接食事時に兵士のご飯に一匙ずつ分配する方法である。

◇人民軍援助運動

 北朝鮮は、農場園等、年1回、決算分配を通して、食糧の配給を受ける世帯を対象に、年1頭の豚を飼育し、居住地駐屯軍部隊に献納するように措置している。

 これにより決算分配対象世帯には、居住地農場管理委員会において子豚を50ウォンで購入し、6ヶ月程度飼育した後、100kgに到達すれば、軍部隊に献納させる。献納時には、「○○○家族は、敬愛する最高司令官金正日同志に導かれる人民軍に豚の贈り物を贈呈した」という人民委員会証書を支給し、献納用以外に飼育した豚の処分権を付与する反面、未献納時には、決算分配時、豚価格の3倍に該当する食糧を削減する。

 しかし、1994年に入り、住民達が食糧事情の悪化により豚にやる飼料が不足し、豚の飼育を忌避するや、人糞を食べさせてでも継続して豚を飼育するように強要している。

 これにより、兵士達は、「自分が出した糞を自分が食べるのか」という等、悲惨な現実を自嘲している。

◇食糧難にも関わらず、戦時物資維持

 戦争備蓄米は、市党及び軍党委員会2号事業部において担当管理している。従って、戦争備蓄米保管場所を、「2号倉庫」と呼ぶ。

 備蓄方法は、新米が入れば、同程度の備蓄米を放出するやり方で行われている。普通、3年周期で交替する。しかし、地域により多少の差異があるが、90年代に入って、入ってくる量より出ていく量が多いと知られている。

 江原道通川郡「2号倉庫」を例に取ると、次の通りである。

 通川郡党委員会2号事業部では、通川郡通川邑セマル里に「2号倉庫」を置き、50kgの稲のかますを長さ70m×幅30m×高さ15m間隔で丸太の添え木の上に積載する。その上に藁葺きの屋根のようなものを作り、防湿材のように覆う。警備は、高さ約5mの鉄条網(3線の電気線設置)を設置して、19名の歩哨が自動小銃を携帯したまま、昼夜間勤務に就く。夜間警備のため、5〜7匹の軍用犬も置いている。

 備蓄油類は、「10号物資」と命名、機関・企業所別に管理するようにしている。しかし、最近、燃料事情の悪化により油類の封印を解いて使用する事例が頻発している。

 戦時用医薬品確保のため、各道医薬品管理所に軍人用「10号医薬品」と市・郡薬品供給所に民間人用「4号医薬品」を備蓄している。「10号医薬品」は、平時薬品使用料基準で60日間使用できる400余種の医薬品であり、「4号医薬品」は、市・郡級病院において平時薬品使用料基準で40日間使用できる医薬品である。

 また、有事の際に備えた血液確保のため、80年代初めから16〜60歳の間の住民を対象に血液検査を実施、住民血液管理対象を記録すると同時に、公民証に赤い印で血液型を標記している。

 このため、一般患者を対象に採血する道人民病院の輸血課とは別途に、市・道行政経済委員会傘下に血液研究室、血液加工室、血液貯蔵室で構成された輸血所を新設し、有事の際に使用する血液(4号補給物資)を備蓄している。同輸血所は、該当地域病院輸血課を通して、来訪患者中血が良い者を物色、採血時、職場を楽にしてやり、金を与える条件で、「保健部10号対象」給血者として選定される。彼らから分期毎に1回に200gずつ定期的に採血するものである。

 給血者は、血液型によりO型からA型、B型、AB型の順で選定する。O型は、誰にでも与えることができる血なので、「豚型」と呼ばれる。採血量100g当たりO型は、37ウォン、その他の血液型は、30ウォンずつ差等支給する。採血量は、「保健部10号対象」の場合、1回200g、不定期一般採血者の場合、1回300gとしている。

 3ヶ月毎に定期採血しなければならない「保健部10号対象」給血者は、貧血に苦しめられるか、採血過程において死亡する事例が頻発している。理由は、大部分が完璧な健康診断を受けられない状態で選定され、食糧配給を必ずしも受けられないどころか、採血即時金も支給されず、必要な栄養補充を行えないためである。一旦、「保健部10号対象」給血者選定に同意した後には、健康が悪化してもこれを取り消すことができない。

 慈江道満浦市の場合、1992年、計7名の「保健部10号対象」給血者中、3名が死亡したことがあり、その内、1名は、採血時、白血球と赤血球の均衡が破壊される特異体質者だと明らかになり、選定に多くの問題点を引き起こすこともある。

◇軍人、服務期間中「3万ウォン稼ぎ運動」展開

 北朝鮮の軍人は、除隊後、社会生活に備えるため、満期1年前から履物、軍服等被服類は勿論、米に至るまでの軍補給品を密かに隠しておくか、持っていくのがほぼ一般化している。このような物品を集めておく袋を保守紙函桶又は秘密風呂敷と呼ぶ。

 補給品輸出は、普通、中隊倉庫長や、衛生指導員と親交がある兵士が彼らと組んで引き抜くか、又は窃取する方法で行われる。米、食用油、野菜(蔬菜)等を輸出し、村の住民と酒や金に替える。軍服、履物等の被服類は、大部分新兵のものを引き抜く。勿論、近隣の居住住民を対象にした強盗・窃盗行為も茶飯事である。

 このような方法で金を稼ぎ、除隊時、普通3万ウォン程度取りそろえることが一般化している。北朝鮮の軍人は、このように稼いだ金3万ウォン中、1万ウォンは、除隊時、炭坑や鉱山に「無理配置」されるとき、免れる賄賂として使用し、2万ウォンは、結婚費用に使用するという。

 北朝鮮の軍人の略奪行為中、最も甚だしいのは、豚狩りである。北朝鮮の軍人は、くすねて用意した30〜40kg程度の豚を選び、鼻にガスライターのガスを注入、窒息させた後、静かに掴み、斧で豚の頭を切り落とし、捕まえている。住民達は、泥棒と会わないように豚のオリに鍵を掛けたり、豚の首に鈴を吊したり、甚だしくは、トンネルを掘って豚を育てたりもする。

 このように北朝鮮軍隊が村を1度通れば、鶏、兎、犬等、残らず動物がいなくなるくらいである。住民達が抗議すれば、「統一軍隊が鶏1匹食べるのが、そんなに惜しいのか」とむしろ大声で脅すのがお決まりである。

 特に、咸鏡南道耀徳郡仁下里所在の人民軍534訓練所は、悪名高い。534部隊は、ゲリラ特殊部隊として部隊員が常に匪賊のような体たらくで出入りし、平壌と咸興の間のウォルワン嶺を守っているが、通る車や人々に凶器を突きつけ、食料、肉類、生活必需品等を迫り、略奪している。住民達は、一言の抗議もできないまま、「ウォルワン嶺を越えるのは、死ぬよりも難しい」、「ウォルワン嶺を越えれば、半分を過ぎたようなものだ」と嘆くだけなのが実状である。

 問題は、軍隊の略奪を断言しても、「後方(支援)事業は誤っていないので、人民軍隊が誤ることはない」と、むしろ申告者を咎める点である。従って、住民は、軍人が現れれば、「栄失(栄養失調軍隊)がまた来る」と素早く席を外すか、家の戸締まりを強化するしか他の方法がない。

◇平壌所在軍隊、綱紀問題深刻

 最近、軍人の綱紀弛緩が深刻な問題となっている中、平壌市内軍部隊軍人がその中でも最も深刻なものと知られている。平壌市勤務軍人の綱紀弛緩が深刻なのは、軍人の大部分が幹部の子息とお金を背景に入ってきた者であるため、大部分の部隊が起床及び就寝時間を守っておらず、点呼と朝の体操すらほとんど行っていないためである。また、外国人の出入りが多い理由により私服を着るようにしており、組織規律を守らず、自由気ままに行動することが容易なためでもある。

 彼らの一部は、運転手と結託、車両を利用し、大同江、牡丹鋒等の遊園地に出て、各種問題を引き起こしている。

 平壌市、勤務軍人間では、「地方から上ってきた突撃隊女性は、60〜70ウォン、平壌市女子大生は、200ウォンである」とし、「どんな女性でも1回200ウォンあればできる」言葉が公然と述べられている位である。甚だしくは、梅毒等の性病感染の憂慮があるとし、突撃隊女性は避け、女子大生を好んでいるのが実状である。

◇軍民一致運動

 最近、北朝鮮では、軍民不和関係が酷い状況に向かっており、各種対策の考慮に腐心している。1992.12頃、金日成が直接全軍の軍官に送る指示文を通して、「人民軍において軍民関係を解決できない場合、人民軍隊から『人民』の字を外して、単なる軍隊と呼び、それでも不和関係が継続する場合は、国が滅びることを覚悟して軍隊を解散する」と公言したいう噂が出るくらいである。

 当局では、金日成が抗日武装闘争中、全体パルチザン隊員に下達したという「全体朝鮮人民革命軍部隊に軍中規律を徹底して守らせることに対する指示文」と「魚が水を離れて生きられないように、遊撃隊が人民を離れて生きることはできない」という当時のスローガンを想起させて、軍民不和関係を解決することを促している。

 1993年度に入ってからは、住民を対象に軍人による被害申告を接受、真相調査後、保障する一方、農村支援を強化する等、相互不和関係を解決しようともしている。しかし、食糧等、軍補給品不足という根本的問題が解決されないため、被害保障が形式的にだけ進行されており、軍人は、住民に「戦争が起これば、軍人が貴いと分かる」と言う等、対立状態が断たれず、敵対関係解決には、ほど遠いのが実状である。これにより出てきたのが、軍民一致運動である。

 北朝鮮は、軍民一致運動を拡散させるために、1992.3.18、中央人民委政令により、「軍民一致模範郡(市・区域)」称号を制定、この称号争取運動を展開する一方、支援事業において模範を見せた機関、企業所、学校等に最高司令官名義の官舎分を伝達してきた。

 軍民一致模範争取運動は、一般住民をして各種補給品の不足により苦しんでいる軍部隊を支援又は慰問するようにし、軍の士気を振作させることにより、郡別努力競争運動の形態で推進させている。軍民一致模範郡称号は、1992.6、開城市長豊郡に初めて授与された。

 これと共に、北朝鮮は、軍民一致運動強化次元において我が哨所・我が学校運動も活発に展開している。この運動は、各級学校と軍部隊を姉妹血縁形態に結束させることによって、軍民一体感を造成しようという運動である。北朝鮮は、この運動に対して「学生達の慰問の手紙を書くこと、慰問品を送ること、慰問公演等を通して、軍人達の士気を振作させて、軍民間の一体感を造成し、学生達に軍援護事業が持つ重要性を認識させる運動」という説明をしている。

 北朝鮮は、最近、これを各級学校にだけ局限せず、行政単位内の各級機関、工場、農場等に拡大し、軍党委員会指導下に軍に対する支援を強化している。従って、我が哨所・我が学校運動は、北朝鮮全域において我が哨所・我が工場運動、我が哨所・我が農場運動等の形態で広範囲に展開されている。

◇官兵一致運動

 北朝鮮は、1978年頃から軍官が下戦士のように生活し、彼らの隘路事項が何なのか体得して助けてやり、導いてやらなければならないとし、官兵一致運動を展開している。これにより、上佐異状の将領級軍官は、3ヶ月間、戦士階級を付けて部隊に所属させて生活させる。勿論、服装も戦士服を着用する。

 兵営生活は、一般戦士と同一で、日課表に従い生活するが、行軍等の訓練時は、列外とされるのが一般的である。しかし、該当大隊3大革命小組員が生活評価及び動向報告を行うために、戦士に「戦士同志」と呼称する程度に諸般の軍事規定が遵守される位である。

 軍官の部隊生活による反応は、階級別に相違が現れている。

 小隊長以上幹部層では、規定による生活を行えば、部隊の非理が露出すると見て、神経を使っている。また、随時彼らのために夜食を提供する等、関心を買うのに努力する。

 中士等、中間幹部層では、軍官のように直接生活しなければならないことにより、精神的に負担を負わされる。

 反面、戦士及び下士は、歓迎する雰囲気である。主・副食物が規定通りに供給されるのみならず、殴打等の過酷行為もないためである。その上、平常時では考えられないタバコ、間食等が提供されることもあるものと、可能ならば、高級軍官が所属部隊に配置されることを期待する。

◇党社(党員及び社労青員)一致運動

 軍服務中、入党比率が90%から30%水準に開くに連れ、軍内党員と非党員である社労青員間の軋轢が深刻化して提起された運動である。

 金正日は、軍最高司令官に就任(1991.12)した後、軍内最大の問題点が党員と社労青員間の問題であるとの報告を受け、社労青の機能を強化する等、社労青員の士気昂揚策を樹立、施行するように指示した。

 社労青の機能を強化した内容を見ると、社労青員の重要性を認識させるため、労働党入党比率を大幅に縮小し、党員の数を制限する一方、社労青の加入も14〜30歳間の無条件加入において選別的加入に変えた。また、高位幹部登用を可能にする等、所属感に対する矜持を付与し(軍の場合、中隊社労青委員長の階級を少尉から政治指導員と同じ中尉に向上調整)、社労青盟証も党員証と同じ365日心臓部位の胸に付けることを指示し、「500万の総爆弾となれ」と士気を高揚させること等である。

 特に、1993.2.18〜22間に開催された第8次社労青大会では、金正日の談話単行本を支給する等、金正日が直接関心を表明したこともある。

上へ 北朝鮮軍の性格と機能 北朝鮮軍の組織と制度 北朝鮮の軍事戦略 兵士の生活相 兵士の生活相2 各種賞勲の種類 第2節 北朝鮮の軍事力

最終更新日:2003/06/04

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